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ココ の ブログ

梅雨の晴れ間(3)

梅雨の晴れ間(3)

 とは言いながら、ボク自身、学生時代を終えてからは小賢しい顔つきをせざるを得なくなっていた。中学までは金持ちのボンボンだったのが、中学3年の時に親父が事業に失敗して以来、ボクの人生が180度変わってしまったのが原因だった。つまり、経済的理由でのんびりした事を言っていられなくなったのだ。両親の別居で母子家庭という質素な家庭環境に激変してからは毎日が暗い生活だった。それでも未だ其れ迄の気楽な生活気分から抜け切れず、高校・大学時代も気楽な事を平気で言っていられた。尤も、それもやがて学生生活を終え就職する頃には次第に世の中の仕組みや厳しさが分かり始め、卒業と同時に家を出た事もあって自分の事は総て自分で解決しなければ誰もやってくれない事を知ったのだった。

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 以来、母が再婚した事もあって独りで生きて行く事に成った訳だが、むしろ親と離れる事で自立精神が養われると想ったのも事実だった。男一匹何としてでも生きて行けるという自信があった。それを思うとボクの愚息は全くその逆で、独りでは生きて行けないと信じ込んでいる。平気で生意気な事を言っては居るが「親に生活の面倒を見てもらわないと生きて行けない」なぞと寝ぼけた事を妻に言っているそうだ。馬鹿かと想う。大学院まで出ておきながら広い世界で親の家にしがみつき、36歳にもなって何を言うかと罵倒した処で内心震え上がって内弁慶で居るだけなのだ。精々アルバイトで自分の小遣いを稼ぐ程度で満足しているのだから先が思い遣られる。気分が悪いからボクは自分から愚息に話し掛ける気にも成れない。

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 ボクがココに話しかけると、それを観て羨ましそうな顔をする。妻までが「自分の息子よりココの方が可愛いの?」と訊く。訊く方も訊く方だが、自分がそういう息子に仕立て上げておきながら、世間の常識を知らないまま育った一種の不具者のような愚息を正す事も出来ずに肩を持つ。母子揃って甘ちゃんも良い処だ。世間の荒波や冷たい空気に触れて少しは社会勉強でもすれば親の有難味も分かろうと言うものだが、敢えてボクはそんな生ッチョロイ教育はしない。親が死んで初めて分かる親の有難さを味わえば良いと想っているのだ。愚息に何を期待すると言うのだ。子孫に美田を残さずと言うではないか。多分、ボクより長生きをする妻が愚息と二人して生活して行けば、それなりの生き方を見つけるだろう。

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 しかしながら、今の世の中は何処か間違っているのではないかとボクは想ってしまう。余りにも頼りないマザコンの男が多過ぎるのだ。その代わり女が強くなった。いや、強く成り過ぎた。ナヨナヨした男を引き連れた女が肩で風を切って闊歩する時代だ。まあ、それも見方に依ればそれで良いだろう。が、総てがそうでは困る。大和撫子とまでは言わなくとも清楚で大人しい女性も世の中には必要だからだ。それで居て芯は強いのが本当の大和撫子なのだ。彼女等は静かで涼しそうな目でジッと男や世間を見据えているものだ。迂闊な事を言えばピシッとしっぺ返しをされそうな雰囲気を持っている。しとやかな佇まいで居ながら自由闊達な想いを胸の内に秘め、男どもを冷やかに見詰めているというものなのだ。

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 そういう女性を求めながら現実の自分の妻を観て幻滅するのが大方の世の男どもの姿だろう。ボクもご多分にもれず似たようなものだ。そもそも結婚なんて幻想でしか無いのだ。ロマンに生きる男と現実に生きる女の生き方の違いを観れば一目瞭然である。それは最初から分かって居た筈の自明の理である。だから男は一時の過ちに人生をミスるのである。そこで女はニンマリ笑い、出来るだけ男が細く長く生きる事を願う。死ぬなら早い目にでないと再婚出来ないから、女は自分の夫が中途半端な時期に亡くなるのを嫌う。未亡人なんて昔流行った未亡人サロンでもないが、長生きこそすれ短い命なぞ戦争時だけの話に過ぎないのだ。お蔭で女は強く生きねば生きて行けない事を知る。それこそリアル・タイムの生き物なのである。

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 まさか、この梅雨の晴れ間で梅雨が終える訳でも無いだろうが、あのゴロゴロと響き渡って鳴り響く雷と、ピカッと光ってはつんざめく稲妻があってこそ梅雨は終えるのだ。あの気持ちの良い激しい雷をボクは待っている。あの音を聴いてこそ夏が始まるのだ。そして祇園祭が始まる。祇園囃子の音を聴いて暑い京の夏を迎える。浴衣を着て鉾町を練り歩いた子供時分、ボクは永遠に子供で居たいと想ったものだった。大人の世界に憧れを抱きながらも自分は嫌な事から総て逃げられる子供こそ至福の時に浸って居られる事を知って居たのだった。ひょっとして愚息も、精神的にその頃のボクと変わらないのではないだろうか。幼児の心理を36歳になっても維持しようとするひ弱さには呆れるばかりだ。此処は一つ、崖から落とすライオンになるべき時ではないかと想ったりもする。(つづく)

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